時刻表ネタ

2011年11月19日 (土)

時刻表ネタ:昭和56年2月号 奥羽本線の夜行列車たち

こんにちわ。

更新が滞っております。
ネタの準備をする余裕がなく、こんな忙しいままに年を越してしまいそうな予感。

さて、久し振りに時刻表ネタです。
現在、複合機が故障しており、新作の準備が出来ません。
過去にスキャンしてあったものの中から未公開だったものをご紹介いたします。

19812

※1981年(昭和56年)2月号の交通公社時刻表から。

東北新幹線開業の1年前で、冬臨と春臨が同居しています。

奥羽本線の板谷峠は数回行ったことがありますが、ここのイメージだけですと閑散としており、夜行列車でこのような本数の需要は疑わしいものです。
しかし、やはりそこは都市間輸送が要の路線であり、昼間の特急「つばさ」や寝台特急「あけぼの」が満席になっているのが当たり前のような時代ですから、冬のスキーシーズン、春休み、GWと、多数の列車を運転しないと追いつけなかったことでしょう。

昼間は本数が少ないと言えども、速度の遅い普通列車が走っていますので、都市間を結ぶ列車を運転するに当たり、普通列車の走らない夜間は臨時列車が設定し易かったかもしれませんね。

それにしても、「津軽1号」から始まり、「津軽51号」、「津軽51号」、「あけぼの1号」、「おが3号」、「あけぼの3号」、「あけぼの51号」、「津軽3号」、「ざおう57号」、「出羽」、「ざおう3号」とまるでラッシュですね。当然、上りもほぼ同本数がありますから、単線区間の交換手配も大変だったことでしょう。

懐かしさが込み上げる急行「ざおう銀嶺」なんて、こんな昭和50年代後半でも残っていたんですね。

この時代ですと、さすがに旧型客車はなくなってしまいましたが、12系や14系、果ては全線電化にもかかわらず気動車まで予備車を掻き集めて臨時列車を動かしていました。

しかし、そのような体勢も東北・上越新幹線が開業するまでであり、ある意味、東北・上越方面における臨時列車最盛時代の最期とも言える頃でした。

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2011年5月23日 (月)

時刻表ネタ:磯釣り列車だったんですか?快速「中伊豆」「南伊豆」

こんばんわ。

久し振りに時刻表ネタです。

その昔、時刻表を毎号見る度にこんな列車が掲載されていました。

490600

弘済出版社・コンパス時刻表 昭和49年6月号より

この頃はまだ小学生でしたので、こんな夜中に終着する列車がなんなのか、まったく理解できませんでした。

しかし、昼間はどうしても見ることのできない列車名として、快速「中伊豆」「南伊豆」という列車、非常に気になる存在でした。

さすがにこんな遅い時間に小学生が出歩ける時代ではありませんでしたので、この辺りは未知の列車だったわけです。

ちなみに、昭和49年4月号公社時刻表には(車中泊ができます)と記載されています。到着は夜中ですが、朝まで車中で寝かせてくれるということなんですね。
一般的に、寝台の利用時間としては6時まで寝られることになってしましたので、おそらく、この列車も6時までは仮眠が取れることになっていたのではないかと思われます。

気になる車両ですが、ググっても出てきませんでしたね。グリーン車が連結されておりませんので、おそらくは155系や167系、或いは快速ですから113系が使われていたかもしれません。でも、167系が伊豆箱根鉄道に入線していたって、あまり聞いたことはありません。

この時代に活発に活動されていた方はそれなりの年齢に達しているでしょうから、ネットに情報を流している可能性はかなり低いかもしれません。

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2011年2月28日 (月)

時刻表ネタ:需要があったの?? 全車指定の臨時急行「なすの」

こんばんわ。

久し振りの時刻表ネタです。

「なすの」と言えば、上野~宇都宮・黒磯を結んでいた、東北本線直流区間の急行列車です。東北新幹線の開業により185系・新特急化、さらには新幹線の名称にまでなっていますが、157系を使用したリゾート準急の時代もありました。
また、上りの1本のみは白河発となり、455系を使用する異色の運用もありましたね。53・10改正前は115系の運用もありました。

急行「日光」や「わたらせ」と併結されたり、今から思えば、運用はかなりバラエティーに富んでいましたね。

さて、そんな急行「なすの」ですが、近距離の急行ということもあり、また特急列車の補完という性格が強く、いつも自由席が主体。新特急になってからもグリーン車や普通車指定はガラガラでしたね。

しかし、昔の時刻表を見ていたら、なんともすごい急行「なすの」を見つけました。

490600

※1974-6月号 コンパス時刻表 臨時列車のページより。

下り2本、上り1本が設定されていて、驚いたことに全車指定なんです。もちろん、グリーン車も連結しています。おそらく、編成は新前橋区の165系7連でしょう。

先にも申し上げたとおり、この時代は115系のオール自由席「なすの」なんてチンケな急行が設定されていた時代ですから、とても全車指定の「なすの」なんて信じられません。
まあ、当時は温泉ブームでも有り、温泉観光のある行先には伊豆・熱海を含め、全車指定の急行は設定されていましたがら、本来は不思議では無い筈なんですけど。如何せん、那須塩原は国鉄駅から離れているので、ちょっと不便な場所ですね。

写真では撮ることのできない記録。時刻表なりの驚き・発見があってなかなか面白いです。

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2011年1月30日 (日)

時刻表ネタ:名無しの急行列車 臨時急行 上野発三峰口行き

こんばんわ。

今日は時刻表ネタを。

過去ログ『時刻表ネタ 昭和51年 115系急行「ゆけむり」「あかぎ」「みつみね」』で上野から秩父鉄道への乗り入れ急行をご紹介したことがありましたが、そのまえの昭和49年時刻表を見ましたら、偶然にも同じ列車の違った姿を見つけました。

490600

※1974-6月号 コンパス時刻表 臨時列車のページより。

不思議な表示ですよね。

昔は上野から秩父鉄道への乗り入れ運行が盛んで、熊谷駅での併解結により急行列車や普通列車の乗り入れが行われていました。

この時刻表によると最大で1日3往復が設定されていますが、愛称があったり無かったり、中途半端に「2号」だけがあったりと、その設定方法に甚だ疑問を感じます。

そんな中、一番左の列車を見てみますと、普通列車でさえ愛称付きの列車が設定されているにもかかわらず、急行列車でありながら愛称が付いていません。

その昔、特急や急行列車でも列車番号で区別されていた時代があり、急行列車に愛称が付くようになったのは戦後となります。
しかし、この昭和も40年代後半になり、愛称が付いていない急行列車というのはまず存在しなかったと思います。

前回ご紹介いたしました急行「みつみね」号と比較いたしましと、上野発の時間が全く同じであり、併結相手の時刻表も確認しましたところ、50・3改正後もそのままの形で設定されていたようです。
したがって、この列車は急行「みつみね」であると言って良いと思うのですが、本当に「名無し」急行列車として扱われたものなのかどうか・・・。ただの落丁だったのか、今となっては分りません。

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2011年1月22日 (土)

時刻表ネタ:グリーン車を連結した臨時急行「あかぎ51号」

こんにちわ。

更新がまた開いちゃいましたけど、時刻表から興味があるものを見つけましたのでご紹介いたします。

490600

※1974-6月号 コンパス時刻表 臨時列車のページより。

画像は使いまわしで申し訳ないです。

下り列車の3列目に、臨時急行の「あかぎ51号」が掲載されています。

急行「あかぎ」は、上野から高崎線経由で両毛線の前橋・桐生・伊勢崎方面を結ぶ定期急行であり、基本的には165系3両編成が使われており、「あかぎ1号」に関しては「ゆけむり1号」と併結で115系を使用していました。
したがって、勘の良い方ならお分かりかと思いますが、本来はグリーン車はおろか、普通座席指定すら連結されていませんでした。つまり、指定券を収集されている方からしても、この急行「あかぎ」や反対周りの「わたらせ」などの急行券・指定席券ということはまず無いわけでして・・・。

ただ、このように臨時があったとすれば、少なからず手に入る機会があったということになります。問題は乗車率ですね。普段から3両編成で足りる急行列車に7両編成の、しかもグリーン車に乗った人など居たのでしょうか?甚だ疑問です(笑)。

ついでですのでもう1題。

上りの欄の同じく2列目に掲載されている臨時急行の「あかぎ2号」。こちらは下りの臨時と裏腹に、グリーン車・指定席とも連結されていません。
しかもこの列車、スジを調べますと他の定期列車との併結もない単独の列車のようです。基本の3両編成が単独で本線を走行することは到底考え難く、さらには115系の送り回送にしても長距離過ぎですね。
とすれば、考えやすいのは付属編成3連×2の6両編成になると思います。この頃は、グリーン車を連結した場合に普通車開放するということはまだ無かった時代ですから、グリーン車が連結された基本7連であれば、必ず表示が出ている筈ですね。
したがって、推測になりますが、臨時に仕立てられた165系6連、或いは115系を送り回送と関係なく単独運用、と考えるのが正論ではないかと思います。

当時はそれほど関心も知識もなかったので、もちろん、確認は取っておりません(笑)。

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2011年1月 9日 (日)

時刻表ネタ:往きは普通で戻りは急行?「山陰いそつり」

こんばんわ。

今日もまた時刻表ネタです。

前回のログで『時刻表ネタ:往きは普通で戻りは急行?「尾瀬フラワー」』というのをご紹介いたしました。ここで『全国的には珍しい』と申しましたが、実は同じ時刻表の同じ臨時列車のページにもう一つ同じような性格の列車がありましたのでご紹介したいと思います。

490600 ※1974-6月号 コンパス時刻表 臨時列車のページより。

場所は変わって山陰本線です。
岡山駅を19時台に発車し、終点の浜田には3:45という滅茶苦茶早い時間に到着します。

名前の「山陰いそつり」という言葉から判るように、釣りを目的とした列車ですね。
今でこそ趣味が多様化し、それほど気合を入れて出掛ける人も周りには居なくなってしまったような気がしますが、このくらいの年代だと、釣りが趣味という人は身の回りにも沢山いました。

ですから、各地の釣場がある地域では、臨時・定期を問わず、このような一見無駄に見えてしまうような列車が設定されていましたね。

この列車の特徴は、やはり前回ご紹介いたしましたように、夜中を走る列車は普通列車とし、帰りは昼間を主な停車駅だけに停まるという理由で急行列車に設定している点ですね。

ただし、前回の「尾瀬フラワー」号と違う部分は、往きが時間調整のために長時間停車が設定されているため、急行列車の性格に馴染まないということから普通列車にしているという話に納得がいきますが、この「山陰いそつり」については返しの急行列車よりも停車駅が少なく、さらに夜中に走っている部分について時間調整による所要時間の拡大が見られません。
実際の所要時間は上下ともに7時間強であり、若干ですが返しの急行の方が所要時間が長くなっています。これは、昼間に単線区間を走る故の交換待ちなどが影響していると考えられます。事情がどうであれ、ここまで往きと帰りも遜色が無いわけですから、夜行を普通列車としている理由はあまり無いように思います。

私が小学生の時にはこの列車の存在を知っていましたが、余りにも縁遠い場所なのでそれほど興味は持っていませんでした。そもそも「いそつり」って言葉の意味でさえ、漢字では無かったために理解できていなかったと思います。

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2011年1月 5日 (水)

時刻表ネタ:往きは普通で戻りは急行?「尾瀬フラワー」

こんばんわ。

1日空いてしまいましたが、また時刻表ネタです。

前回の『時刻表ネタ:一晩でこんなに???急行「尾瀬」』に関連して、「尾瀬フラワー」号をご紹介したいと思います。

尾瀬へのアクセス列車としては、上越線から急行「尾瀬」、東武鉄道から通称「尾瀬夜行」、そして、仙台方面から磐越西線、只見線、会津線を経由して会津田島まで臨時夜行の「尾瀬フラワー」という列車が運転されていました。

490600_2 ※1974-6月号 コンパス時刻表 臨時列車のページより。

仙台駅を意図的でしょうか、21時ちょうどに発車し、普通列車ですが急行列車並みに所要駅に停車しながら磐越西線を走ります。

終点での時間を調整するためか、或いは会津線内の駅の通過時間を考慮(夜勤者の睡眠時間確保?)してか、会津若松駅に3時間強も停車してから只見線・会津線を走ります。

折り返し列車は到着日の翌日となるため、会津若松までの回送は普通列車に併結されていたようですね。ちなみに、同列車は会津線の始発列車より早い時間に通過してしまいます。

帰路は翌日となりますが、何故か急行列車として走ります。今のダイヤならコレだけ駅を通過したとしても、おそらくは快速で料金不要とするところでしょうが、新幹線の開業前は料金不要の速達列車の設定がないころでしたので、当時としては当たり前の設定であったと考えられます。

比較的おそくまで設定があった列車のようですが、全ての時代を網羅して検証したわけではありませんので、時代によっては設定に違いがあるかもしれません。

ただ、全国的にも同じ列車名を語りながら列車種別が違うというのはなかなか珍しい例であったと思われます。

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2011年1月 4日 (火)

時刻表ネタ:一晩でこんなに???急行「尾瀬」

こんばんわ。

季節モノじゃありませんが、今日は時刻表ネタからマニアックなところを。

尾瀬といえば関東在住の方で知らない人はいないくらい有名な国立公園ですね。
歌にも唄われるくらいですから、もちろん全国的にも有名な自然の宝庫です。

シーズンにはハイカーで賑わうため、昔は臨時列車も多数設定されていました。

490600

※1974-6月号 コンパス時刻表 臨時列車のページより。

昭和49年だと、私も未だ小学生でしたが、時刻表を見てこの急行「尾瀬」の存在は知っていました。

何がって、通常の急行列車では考えられない「沼田」という行先。一晩に何本もの列車が出ること。急行列車なのに、全ての列車にグリーン車も指定席も繋がっていないこと。かなり特徴がありますよね。

ただ、当時だと「尾瀬」って場所がどんなものかという知識は無かったと思います。小学生には未だ厳しい場所なので、社会の勉強でもあまり出てこないでしょう。精々「ミズバショウ」という花を知っているくらいだったんではないかな?

中学の林間学校で、初めて尾瀬を訪れました。その時はシーズンでなかったのですが、観光客の多さ、日の出前から観光客が動き出すことを知り、初めてこの急行「尾瀬」の意味を理解できました。

当時は未だダイヤ情報といった臨時列車の車両や編成を示す情報誌もなかったので、どのような車両が使われていたのか皆目分りません。多分、165系の付属編成又は基本編成(グリーン開放)、115系なども動員されていたのではないかと推測されます。

往路の列車も凄まじい面々ですが、復路の「後閑」発っていうのも、今となって信じがたいようなダイヤが組まれていました。

その後もしばらくは運転されていたようですが、モーターリゼーションや観光バスなどの発達もあって、このような季節集中的に運転されていた列車たちも消えてしまったようです。

関連のネタもありますので、追々ご紹介したいと思います。

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2010年9月30日 (木)

時刻表ネタ 昭和55年 国鉄胆振線 循環急行「いぶり」

こんばんわ。

本当に久し振りの時刻表ネタです。

昨日、「マル鉄回顧録」にて『ローカルな風景 第43回(国鉄 胆振線:キハ22253)』という記事をアップしたところですが、こ れにちなんで、同線を走っていた大回り循環急行「いぶり」を時刻表からご紹介したいと思います。

今は急行すら片手に入るだけしか残っていませんが、昭和の時代は全国をくまなく網羅しておりました。
その中でも、発駅と終着駅が同一となっている、いわゆる循環列車が存在していました。
身近なところで言うと、長野←→信越本線←→小海線←→中央本線←→篠ノ井線←→長野を走る急行「のべやま」と「すわ」(回る方向で愛称が異なる)と、遠く九州の別府←→日豊本線←→豊肥本線←→鹿児島本線←→日豊本線←→別府(大分)を結んでいた急行「火の山」辺りが有名でした。

これと同様の列車が北海道にもあり、札幌←→千歳線←→室蘭本線←→胆振線←函館本線←→札幌を結んでいたのが急行「いぶり」です。

19807

※昭和55年7月号、交通公社時刻表から。

急行「いぶり」は、1日1往復(というか、双方向回りで1組。)が定期で設定されていました。超ローカル線である胆振線においては、唯一の急行列車となります。札幌から千歳線へ向けて発車する列車と、札幌から逆に倶知安方面に向けて出発する列車の1組が設定されていましたが、列車名は同一となっており、特に区別されていません。どちらに出発する列車も「上り列車」といのも、循環急行である面白さですね。

説明では札幌から千歳線・室蘭方面へ発車する列車のみを図示しております。
この時点においては千歳線もまだ電化されておらず、札幌から室蘭方面へのアクセスは、もっぱら急行「ちとせ」が担っていました。短編成の急行「いぶり」がこの区間を単独で走るのはあからさまに無理がありますので、急行「ちとせ」を主体とする列車にぶらさがる形になるのは当然ですね。しかもこの急行「ちとせ」は、元々が室蘭行きを主体に、洞爺行きを併結しておりますので、本体の「ちとせ」と併せて3階建となっています。

また、図示はしておりませんが、伊達紋別から胆振線を走破後、倶知安からは急行「らいでん」に併結されるため、急行「いぶり」として単独で走るのは、胆振線内のみとなっています。

同列車は編成の全てがグリーン車を含めて自由席となっているため、時刻表にも編成表が載っていません。私が胆振線に乗ったときには既に急行が廃止されていたため、どのような編成で走っていたか、大変興味のあるところです。

昔はこのような無駄とも思える経路の急行列車が沢山走っていたのですが、さすがに特急列車になってまで存続するケースは無いようですね。

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2010年2月 8日 (月)

時刻表ネタ 急行「あさぎり」と急行「あさぎり」

こんばんわ。

週末、鉄道系ブログや情報サイトを覗いてみると、急行「あさぎり」のリバイバル運転が目に付きました。

そう言えば・・・遠い過去の記憶が甦ってきました。

関東在住の私からすれば、急行「あさぎり」と言えば新宿発御殿場行きの小田急SSE車を使用した乗り入れ急行ですね。でも、今回のリバイバルは気動車による急行「あさぎり」です。九州を走っていた急行ですね。

おそらく、この機会に???が解消した方もいらっしゃるでしょう。実は、国鉄時代に珍しくも同一名称の急行列車がずーっと長きに亘り同居していたのです。

19788

いずれも1978年(昭和53年)8月号の交通公社時刻表から抜粋しています。

こちらは言わずと知れた新宿発御殿場行きの急行「あさぎり」です。長らく小田急のSSE車5連により、定員制の私鉄←→国鉄乗り入れの全国的にも珍しい運転形態の急行列車として運転されました。当時から1日に4往復の定期列車が設定され、車両も種別も変わってしまいましたが、現在も特急「あさぎり」として活躍を続けています。

19788_2

一方、こちらは九州で門司港~由布院・天ヶ瀬間を日田彦山線経由で運転されていた、気動車急行「あさぎり」です。この急行列車は見た目のとおりのローカル急行で、グリーン車も指定席車も連結されていません。

小田急乗り入れの「あさぎり」は、「朝霧高原」という地名に由来しており、九州の「あさぎり」は自然現象に由来するものとされていることから、同じ「あさぎり」というひらがな表記、発音であっても、言葉の意味は異なります。

かといって、見た目は全く同じ愛称となりますので、混乱はなかったのでしょうか?

この両者、列車同士が全く接することの無い遠い地域に接しており、また、小田急「あさぎり」は座席指定なしの定員制、九州「あさぎり」も自由席のみの急行であったことから、マルスによる指定券発売も無いことから、混乱は有り得なかったものと考えられています。

それにしても、昭和61年に九州「あさぎり」が廃止されるまでは、同名の急行列車が長きに亘って同居していたことになりますので、いくら全国広しと言えども、唯一の例であったものと思われます。

私も小学生の頃より時刻表を良く見ていたものですが、夏の臨時列車で「かっぱ」とい名称が付く列車でニアミス的な名前があった記憶はありますが、そのものズバリと言うのは無かったように思います。ただ、この列車の存在自体は、かなり幼い頃から知っていた自分が怖いです。

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