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2009年5月

2009年5月31日 (日)

Nゲージ 津川洋行改造 キハ07203

おはようございます。

今日はまた非テツ日となりました。そんなんで、Nゲージネタを一つ。

今日のネタは、旧機械式変速機搭載車として登場したキハ07をご紹介したいと思います。

07203

改造のタネ車は、津川洋行で発売したディスプレイ用のキハ07です。全体的な寸法については、幅の狭い車体など、まあ比較的良い印象なのですが・・・。社には申し訳ないが、形状寸法が合わない屋根板とボディの合わせ。雑や薄いパーツディテール、片側運転席のハチャメチャなバリ(破綻していると言っても良い)など、こんな仕上がり状態で良く出荷する覚悟ができたな、と思うほど出来が悪いです。

07203_4                                                                                                   正面窓全体に出ているバリをカッターで直線になるように削り、少しでも印象が良くなるように整えます。正面を見ると、屋根と車体の曲線がまるで合っていないのがお分かりいただけると思います。連結器部分もカプラーが干渉するので取り除いちゃいました。

07203_3

屋根はベンチレータを全部削ぎ落とし、GM客車キットのリアルタイプに付替えました。また、ヘッドライトも非常にショボかったので、GMの旧型国電用を取り付けてみました。

全体を塗装し直し、車番インレタを入れます。

テールランプはそれらしいパーツが無かったので取り付けていませんが、後付けが可能なので放置したままになっています。

自分的には、この程度までしておけば、他の気動車と混結してもなんとか見られるようになったと思います。

最近になって、マイクロエースからまさかの製品化がされてガックリ来たものです。4両もいらないので買っていませんが、そこそこの出来になっているようなので、単品でもオークションで購入しようか考えているところです。現在は金欠病だし、模型に急を要するほど熱がなくなってしまったので、また何れ、くらいにしか考えていませんけど。

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2009年5月30日 (土)

高千穂峡 ボート利用券 高千穂町観光協会

こんにちわ。

「うさぴょんのマル鉄回顧録」の過去ログ『ローカルな風景 第27回 (国鉄高千穂線:キハ10・20系)』で高千穂線をご紹介させていただいたことがありますが、先程書庫を整理していたら古い紙袋から大量の記念写真が出てきて、その中にこのようなものが入っていたんです。

Photo

高千穂峡へ観光に行った際、同級生テツ(当時)とボートに乗ったときの利用券です。

昭和54年3月ですから、当時は未だ乾式コピーなど無い時代でしたので、色紙に印刷して作成したもののようです。良く広告に使われているような安い紙質のようですね。

今でも観光の名勝として残る高千穂峡。高千穂線(のちに第三セクター化)が廃止されてしまい、もう訪れる機会もないかもしれませんが、滝に吸い寄せられるスリルを再び思い出しました。

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2009年5月28日 (木)

国鉄乗入れ切符(京浜急行電鉄) 地図式3等券

こんばんわ。

今日は少し早めに帰ってくることが出来ましたので、久し振りに私鉄から国鉄線への連絡乗車券をアップしたいと思います。

京浜急行電鉄から国鉄線への地図式連絡乗車券です。

Photo

メチャクチャ古いんです。私が生まれる前の昭和34年発行です。この時代は、首都圏の連絡乗車券も地図式が多く使われていたようですね。金額式と比較して、自分がどこまで乗ることができるのか、大変判りやすいです。

昭和34年だと等級式の時代で、3等券であることも目を引きます。特に気になるところというのは無いですが、まだ総武快速線が出来ていないので、幾分地図の線がスッキリしているように感じます。また、裏面にある「太線区間」の「太」の字だけポイントが違うようで、妙にアンバランスなのが笑えます。

しかし、循環番号の○41というのもスゴイですね。自動券売機が普及していない時代ですから、手売りでも相当な数が出ていたんですね。

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しかし、この時代と言えば、中央線と東海道・横須賀線以外は茶色一色の時代ですよね。各駅前は都電だらけ。とても想像がつきません。

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2009年5月25日 (月)

「くろいそ」 特急券 D型準常備

こんばんわ。

『うさぴょんのマル鉄回顧録』で183系1000番代「くろいそ」という記事をアップしたところ、ウソネタであるにも拘わらず結構な反応がありましたので、今日はこれに関連して特急「くろいそ」の特急券を所有しておりますのでアップしたいと思います。

Photo

昭和45年の上り特急「くろいそ2号」の特急券で、乗車区間は黒磯から上野までのフル区間となっています。

発行は発駅となる東北本線の黒磯駅です。当時でも東北本線には多数の特急列車が設定されていましたので、常備券ではなく準常備となっているのでしょう。それでもレアな「くろいそ2号」というゴム印が用意されているのは嬉しい限りです。

私が鉄道に興味を持ち始めたのが小学2年生の頃で、時刻表を初めて買ってもらったのが小学3年生のとき、昭和47年でしょうか。ただし、あまり列車には興味が無く、駅名を覚えるために買って貰ったもので、当時どのような列車が走っていたのか全く記憶がありません。

そこで調べてみたところ、特急「くろいそ」は昭和44年10月、181系電車により季節列車として運転を開始、定期化されることなく昭和48年10月に廃止された、となっています。私が初めて写真を撮り始めたのが昭和47年末頃でしたから、この記録が確かであれば、「くろいそ」が走っていたことになります。

ただ、時刻表は最初に買って貰った1冊だけであり、時刻表を基に写真を撮るようなことをしていませんでしたので、特急「くろいそ」が走っていたという記憶は全くありませんでした。季節特急であったと言うのもネックになっていた可能性が高いですね。それでも、何故か157系「白根」や181系「そよかぜ」は時刻表を基に写真を撮りに行ったことがありますので、これらの行動が昭和49年というギリギリ間に合わなかった時期の記憶なのかもしれません。

せっかく時代的にリンクしていたにも拘わらず、記憶の片隅にも残っていない特急「くろいそ」。まぼろし且つ憧れの特急列車でした。

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2009年5月24日 (日)

Nゲージ GMキット改造 クモハ54129+クハ68409

おはようございます。

やっとパソコンのモニタが帰ってきたので、以前のようにアップできるようになりました。

昨日は『JRおおみや鉄道ふれあいフェア2009』に行ってきたのですが、その際、同行したlineさんから、「模型ネタってあまりあっぷしてないよね。」と言われました。まあ、確かに最近はNゲージも完全に休眠状態ですし、Nネタ出してもあまりアクセス数が上がらないというのもありまして、ボチボチ状態です。私的には、ブログ村上位の常連さんたちに何故そんな件数のOUTポイントが入るのか不思議でなりません。

さて、寝不足のまま早起きさせられてしまったついでですが、そんな話もあったので模型ネタを1発アップしておきたいと思います。今日も飯田線ネタの続きです。

54129

まずは、クモハ54129です。

クモハ54は、セミクロス車であるクモハ51の出力をアップしたオリジナルタイプ(ドア間窓が6個)と、ロングシートをセミクロスに改造した元クモハ41の改造車(ドア間窓が5個)のものが混在し、クモハ51形と合わせて、何故か改造車の編入の方が多いという複雑な形式になっています。

さらに、元クモハ41形は初期平妻車と後期半流形が存在しているため、さらに複雑化していました。

写真にご紹介したクモハ54129は、元クモハ41の後期半流形で、さらに出力アップされクモハ54となったものです。

GMキットでは、クモハ41の初期平妻車とクモハ51の半流形しか製品化されていないため、このタイプの車両を製作するためには改造が必要となります。作例では、クモハ41の側板のうち乗務員扉から先端をクモハ51のキットに差し替えて接着する方法としています。これは、同社のキットでも、41系と51系の車体寸法に違いが見られるため、素直に前面だけを差し替えようとすると、床板や屋根板と寸法が合わなくなってしまうためです。

68409

次に、こちらはやはり41系のクハ55をセミクロス化し51系に編入されたクハ68409です。制御車もクモハと同様の改造により多数の編入車があり、大変複雑になっています。

本車は、ロングシート車であるクハ55をセミクロス化によりクハ68に編入され、さらに飯田線入線に際して便所を設置し、400番代とされた形式です。飯田線のクハ68は殆どが偶数車とされていますが、この平妻車のタイプでは全て奇数向きとされており、異彩を放っていました。

作例は、基本的にGMのクハ55キットの素組みとしましたが、先般ご紹介いたしましたクモハ42と同様、長いタイプの幌枠パーツを取り付け、実車の雰囲気が出るようにしました。

このような改造編入車が多数を占める51系群ですが、実際にはこれに2扉クロスシート車の42系からの3扉化車も加わるため、より複雑な経歴・形態となっています。逆に言えば、そのような複雑を知るごとに興味も膨らむため、このように改造意欲を沸き立てさせる力を持っていると言えると思います。

今回の作例は、模型改造でもかなり初心者的な手軽なものですね。(私自身が不器用なので、この辺りが精一杯ですが・・・。)

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2009年5月20日 (水)

片まゆ毛のコアラ発見!(コアラのマーチ)

こんばんわ。

今日はかなりテツを離れた内容になりますが・・・。

もう先週になりますが、直近の上司からコアラのマーチ(小袋入り)をいただいたんです。

何気にコアラのイラストを眺めながら食べていたら・・・まゆ毛付きを発見!

までは良かったんですが、以前に見たまゆ毛付きと様子が違う・・・良く観察すると・・・

Photo

まゆ毛が片っぽしかねェーーーー!

周辺がちゃんと描かれているので、行程ミスで脱落したようにも思えません。かといって、動物である以上は左右対称じゃなきゃおかしい!

一体どうしたんだい?床屋に行って間違って剃られちまったとか・・・可哀想に・・・。

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2009年5月17日 (日)

電車運転士のバッジ

こんばんわ。

今日はこんなのをご紹介いたします。

Photo_2

ビニール袋に入ってセロハンテープの後が鬱陶しいですが、運転士が胸に付けるバッジです。

私が駅員になった昭和59年頃は、職員に対する当局の管理姿勢もかなり厳しくなっており、駅員はこれと同じスタイルのネームプレートの着用を義務付けられました。

運転士や機関士は、国労又は動労が混在しておりましたが、同じ総評系ですので必ず歩調を合わせておりました。おそらく、ネームプレートの着用についても同じくらいの時期には義務付けられていたと思いますので、このように職種を表すプレートというのは、分割民営化のかなり前では無かったかと思います。

私自身は職種の全く異なる「営業」職でしたので、当時の運転区の状況は全くわかりません。実は、このバッジも国鉄時代に貰ったこと間違い無いのですが、誰からどのように貰ったのかも憶えていません。手に入れた時点でも、かなり前のものではないかと思います。

まさか私鉄のものではないと思いますが、詳しい事情は運転士を経験された方じゃないとわからないですね。

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2009年5月16日 (土)

国労 組合員バッジ 闘争ワッペン

こんばんわ。

今日はマニアネタではありませんが、懐かしいものを見つけたのでアップします。

Photo

ある程度年齢の行ったには言わずと知れた国鉄労働組合(国労)の組合員に配られたグッズです。

右下が襟章で、金属製です。そして、右上がこれよりも目立つように作られたビニール製のバッジ。

服務規程では制服に付けても良いものというのが厳格に定められており、組合を示すこうしたものは本来付けられないことになっています。この襟章なんかは目立たないように大変小さく作ってありましたが、国鉄の分割民営化構想が本格的となり、これに真っ向から反対する国労はさらなる団結を誇示するため、このような大きなバッジを作ったものと考えられます。

左側は、国鉄の分割民営化反対を叫んで作成された闘争ワッペンです。それまでは春闘くらいしかこのようなワッペン闘争は無かったと思いますが、国鉄時代末期は春闘どころではなかったような気がします。国鉄時代の国労では、この辺りが最後のワッペン闘争になったのではないでしょうか。

最後の2年くらいは、国労組合員は民営化後に残れなくなるウワサ、管理職からの攻撃・世間からの風当たりが非常に強くなり、他の組合も立ち上がって非常に混乱したものです。

私は国鉄を退職するまで国労にいたつもりでしたが、混乱の中でいつの間にか脱退したことになっていたらしく、退職の餞別金さえ貰えなかったことを腹立たしく思ってました。←思い出したらまた腹が立ってきた(笑)

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2009年5月15日 (金)

憧れのヘッドマークバッジ(交通博物館)

こんばんわ。

更新が滞りがちですみません。

今日は、知っている人は知っている、多分『懐かしい~!』という方も年代的に多いかもしれません。

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交通博物館で売っていた、ブルトレのヘッドマークのバッジです。

私が小学生の頃買ってもらった物で、確か交通科学館と共通で売られていたと思います。

もう35年位前になりますが、果たしていつ位まで売っていたのでしょうね。当時で200円だったと思いますので、ラーメン1杯よりも高かったかもしれないことを考えると、結構良いお値段だったと思います。もちろん、1回で4個も買ってもらえたわけではありませんから、2~3回と行っては1個づつ買ってもらいましたね。

東京駅発着のブルトレ以外はヘッドマークの取り付けが廃止されていた頃でしたので、この中でも「日本海」や「ゆうづる」というのは憧れのマークでした。「瀬戸」は個人的にデザインが好きだったのです。

こんなものでもコンプリートしていれば立派なコレクションだったかもしれませんが、昔はアポロキャップに飾りとして付けて使っていたので、傷+劣化で結構悲惨な状態になってしまったのが残念です。「あかつき」や「彗星」も欲しかったな・・・。

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2009年5月13日 (水)

国鉄時代の道具:ホイッスル&列車の鍵

こんばんわ。

パソコンが調子悪く、古いパソコンで代替しております。OSが古いので画像登録ができずに暫くは休止状態、と思ったのですが、デジカメから直接転送するドライバがインストールできたので、辛うじてネタをアップすることができるようになりました。

しかし、如何せん古いためにスペックが低く、画像転送・加工に物凄い時間が掛かってしまいました。寝不足防止のためにチョイネタになってしまいますが、どうかご勘弁を。

今日のネタはこんなのです。

Photo

私が国鉄勤務時代に使用していた道具です。

左上がホイッスルと配電盤の鍵ですかね。ホイッスルは駅勤務時代に常用しておりました。この鍵は、実際の用途としては使用したことがありません。確か与野駅時代の先輩からいただいたものだと記憶しております。

ホイッスルは、ヒモ付きで首から下げている職員が多いのですが、私は好きではなかったので、ヒモは使用しませんでした。一つは、制服にぶつかるため、衛生的に嫌だったこと。もう一つは、朝のラッシュ時に乗客を押したり、挟まった乗客や荷物を外す際、万が一ホイッスルが車内に入ってドアが閉まってしまうと、首を吊ったまま引きずられてしまうおそれがあったからです。

そこでこのいただいた鍵ですが、T字型になっていてさらに先が膨らんでいるため、中指と薬指の間に挟むとちょうどフィットして、ある程度は手を開いても落ちなかったんです。そんなことで非常に愛着があったんです。

そして右下は、当時の鉄道ファン憧れの電車の鍵です。これも与野駅の先輩にいただいたと思いました。

実は2本持っており、これは柄の短い予備で、1回も使ったことがありません。もう1本は柄の長いタイプで、こちらは退職後にクルマのキーと一緒につけてアクセサリーとして使用していたのですが、こともあろうに、北海道の原生花園で釧網本線を撮影中、クルマの鍵ごと紛失してしまったんです。思い出の品だけに、旅先だったこともあり、非常にショックでした。

この鍵は、車両のドアには全て使えましたので、高校生時代に欲しくて仕方なかったんですよね。でも、結局はイタズラ目的でしかないので、その頃は手に入らなくて良かったのかもしれません。

時代も変わりましたので、おそらくJR化後の形式では、こうした鍵はもう使えなくなってしまったのではないでしょうか。

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2009年5月 9日 (土)

国鉄への乗り入れ切符(上信電鉄)

こんにちわ。

ちょっと早朝から写真を撮ったり昼寝したりして更新が遅くなっちゃいました。

今日は本当に久し振りになってしまいましたが、社線から国鉄への連絡乗車券シリーズとして上信電鉄からの連絡乗車券をご紹介したいと思います。

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上信電鉄の下仁田駅と上州一ノ宮駅から国鉄線への連絡乗車券です。

着駅はいずれも大宮駅を周辺として、同じ運賃区間である高崎線宮原駅、東北本線東大宮駅、京浜東北線北浦和駅の3駅が表示されています。1駅に「・」で結んで2駅を2段書きするという、かなり苦心の跡が見える表示ですね。おそらく券面表示事項が多いの、でスペースの制限のため止むを得なかったのでしょう。

いずれの券も乗換駅である高崎と、高崎線の経由表示に使用される上尾を使用しています。下の券は上州一ノ宮駅発行ですが、小児運賃の金額を半角表示しているにも拘わらず、それでもスペースが足りないために「上・一ノ宮」とかなり苦しい状態なのが笑えます。

まだ私的には上信電鉄には乗ったことが無いので、結構個性的な車両もあることですし、近いうちに訪問したい鉄道の一つです。硬券を設備している駅があるのであれば、今でも連絡乗車券を設備している可能性もありますので、わざとこうした乗車券を購入して利用してみたいものです。

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2009年5月 6日 (水)

このプリン、デカッ!

今日の夕飯は、オークションでGETした讃岐うどんを食べたんですけど。(もちろん、茹でたのはワタシ・・・。)

消化が良いせいか、この時間にお腹空いちゃったんです。

そしたら、女房が夕方の買い物でデザートを買ってきてある、とか今頃の時間になって言うもんだから食べたくなっちゃった。

で、冷蔵庫を開けてみたら・・・

090506

デ、デカッ!

カロリー高そうだな・・・でも食べちゃお!

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寝台特急「あさかぜ」:特急券・B寝台券

こんばんわ。

GWも終わり、また明日から忙しく仕事をしなきゃいけないと思うとウンザリしますわ。また苦心が滞りがちになるかもしれませんので、何卒ご了承いただきたいと思います。

さて、GW最終日のネタとして、ブルートレインの代名詞として名を馳せた「あさかぜ」の硬券特急券をご紹介したいと思います。

S49

まずは昭和48年発行、上り「あさかぜ1号」の特急券・B寝台券です。

旧様式時代のD券で、表示類が細かく、私的にはこの時代の硬券に高級感を感じます。

当時の「あさかぜ」は3往復が設定されており、A寝台個室を連ねた登場時の風格を残した20系編成、ややリーズナブルで「富士」「はやぶさ」と共通の20系編成、14系を使用した「さくら」「みずほ」と共通の編成で、それぞれ個性を持っていました。このうち、14系寝台編成は昭和50年3月の山陽新幹線博多開業により消滅しています。

乗車駅は広島であり、隣の可部線との分岐点ある横川駅の発行となっていますが、何故か「(塩)」の記号が印刷されており、訂正の「(陽)横川」のゴム印が上押ししてあります。福塩線の某駅の見本とでも間違えて発注してしまったのでしょか?

S60

こちらはずっと月日が流れて昭和60年大阪駅発行の上り「あさかぜ2号」の特急券・B寝台券です。

大阪駅では、私が知る限り昭和49年時点においてもN型マルスが配備されておりますので、当時においても硬券があるというのは不思議に感じました。過去ログで「○み」記号が話題となりましたが、この特急券についても「みどりの窓口」の営業終了時刻後、夜行列車利用客への発売のために硬券が常備されていたものと考えられます。日付が1日ずれておりますが、乗車日の列車が0時18分発ですので、日付が変わる前に発行されたものでしょう。

窓口氏は相当あわてていたのでしょうか、「下」段のところの画が一つ足りなくて、「T」になってしまっているのが微笑ましいです。

2

こちらは、私が所有する唯一のJR化後の発行券である、JR西日本竹原駅発行、上り「あさかぜ2号」の特急券・B寝台券です。

乗車区間が発駅・着駅とも大きく印刷常備となっておりますが、残念ながら名称についてはゴム印となっています。

この記事をアップするまで気が付かなかったのですが、本券は大人専用券であり、小児断片が付いておりません。等級制時代のA券は大人常備が当たり前ですが、AB制になってからのD券でこのようなスタイルは初めて見ました。おそらく、私が所有する寝台券のなかには存在しません。

おそらく1駅だけで発注することは無いと思いますので、広島地区の各駅でJR化直後に常備されたものと考えられます。

S59

最後に、昭和59年発行の下り「あさかぜ1号」の特急券・B寝台券です。こちらは私が購入・使用したもので、西川口駅発行の準常備券です。

当時、山口線やセノハチのEF59などを撮影の際、頻繁に寝台特急を利用しておりますが、西川口駅発行のB寝台券は、全て準常備券だったのを残念に思います。

この回は山口線撮影に際してセノハチに寄る前に、宮島へ渡るため「宮島口」まで購入したものです。実際には宮島口駅で特急券を回収されてしまうことを嫌い、広島駅で下車し、横川で可部線の73型国電を撮影後、改めて宮島へと渡っています。

走るホテルと謳われ、東京~九州の寝台特急として3往復にまで成長した「あさかぜ」でしたが、新幹線博多開業とともに、航空機との競争激化に伴う利用者の低迷により、惜しくも廃止されてしまいました。九州への寝台特急がなくなり、JR東海の客車列車通過拒否により、2度とブルトレが復活することはないと思われます。全盛時代を見てきた者にとって、なんとも寂しい・悲しい結末となってしまいました。

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2009年5月 5日 (火)

国鉄 普通乗車券 「東京都区内」の表示

こんばんわ。

今日は以前から気になっていた普通乗車券の「東京都区内」の表示について集めてみました。

全国から人の集まる東京ですから、地方から鉄道線で上京する際、201km以上離れてばその乗車券の行先は「東京都区内ゆき」となります。乗車券の券面行先とすれば当然「東京都区内」の表示であり、違いがあるとすれば普通の文字を並べたものと、特活と言われる天地左右で変形させた特殊な文字の2通りと考えられます。

それだけではネタとして面白くありませんので、私が着目した点をご紹介いたしますと、右側のいわゆる小児断片のところにも行先表示がされている例が殆どであり、この部分に印刷されている「東京都区内」に該当する表示に様々な違いが見られますので、この点に的を絞ってご紹介したいと思います。

Photo

まずは、東北本線の二枚橋から東京都区内行きの普通乗車券です。

小児断片に縦書きで「東京都区内」とフル表示されており、東北地域の発行券として一般的な表示と考えられます。

二枚橋駅は、昭和63年に「花巻空港駅」に改称されており、駅名自体はなくなってしまいました。二枚橋から東京へは、東北本線経由と常磐線経由の選択肢がありますが、東北本線に良く見られる経由表示のない乗車券です。最短経由ですと、白河又は蓮田経由と記載されるのが一般的です。

Photo_2

次に、同じ東北本線に位置する郡山から東京都区内ゆきの乗車券です。

こちらも二枚橋からの券と同様に「東京都区内」と表示されていますが、特活文字が使用されており、1行に縦書きでキレイに収まっています。

こちらの乗車券は、特に大回りする理由が見当たらないにも拘わらず、白河経由の表示がされています。磐越東線・常磐線経由の常備券でも存在したのでしょうか?

Photo_3

こちらは奥羽本線の横手駅から東京都区内ゆきの普通乗車券です。

郡山からの券の表示に限りなく似ていますが、何故か「東京都区」までの表示で「内」が省略されています。

また、この券は小児差額金額の3100が断片下部に表示されており、前出2枚とスタイルが異なります。「内」が省略されているのは、このスタイルの関係で窮屈になってしまったからでしょうか?

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先日ご紹介いたしました、国鉄旧二俣線(現:天竜浜名湖鉄道)遠江森(現:遠州森)から東京都区内行きの普通乗車券です。

券面の行先はタテに細い特活文字が使用されています。これに引換え、断片には小児差額表示が無く、タップリとしたスペースがあるにも拘わらず、「東京」のたった2文字の表示だけであり、「都区内」は無視されちゃってます。

東京都区内までの運賃は、実際の下車駅に関係なく東京駅までの距離によって算出されますので、ある意味間違っているわけではないのですが・・・パッと見は省略し過ぎのように感じます。

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最後は、信越本線柿崎から東京都区内行きの普通乗車券です。

こちらの小児断片は、小児差額の表示が無い代わりに、経由表示が入っています。私鉄からの連絡切符には良く見られるタイプですね。

さらに面白いのは「東京都区内」を時刻表や案内図で使用される「■区」で表示されていることですね。この乗車券を見て表示を発見したときとしてしまいました。私はこのタイプの乗車券は1枚しか所有しておりませんが、どうも新潟地区で使われていたようですね。

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この券では、裏面でも「■区」が説明的に敢えて使用しており、これをフルに活用している感じがします。

このように細かいところではありますが、ジッと見ていると違いが見えてきて、切符のなかでも地味な存在である普通乗車券に面白さが付いてきます。

また新たな発見がありましたら、追加記事として取り上げてみようと思います。

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2009年5月 4日 (月)

およげ!たいやきくん ガシャポンのバッジ

こんばんわ。

連休はそれなりにテツしていますが、せっかく普段取れることの無い大型連休だから、コレクションネタを探すために宝箱を久し振りに漁りました。

そしたら、出てきたんですよ。私も久し振りに見ました。

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昭和50年、一世を風靡した子門真人さんの「およげ!たいやきくん」のバッジです。真鍮製でしょうかね。酸化してくすんでしまっていますが、金色をしています。

何年かに一度くらいは子供番組からヒットする曲がありますね。最近では「だんご3兄弟」かな。CMですけど、「たらこ」の歌なんかもありましたね。しかし、「およげ!たいやきくん」はレベルが違うんですよね。シングルで500万枚も売れたといわれていますから。でも、印税の契約をしていなかったんで、子門真人さんは全然儲からなかったなんて話も聞いたことがあります。

で、このタイヤきくんですが、ガシャポン(当時はガチャガチャと言っていた。)で出てきたヤツなんです。確か当時20円くらいでしたから、大量の下らないおもちゃの中に、これだけが輝いて入っているんですよね。最後にしか出てこないように、手前の上の方に入っているんですよ。最後の頃になると、コイツがゴロゴロ出てくるんで、競ってお金を使った記憶もありますが・・・。

私的にも今となってはあまり興味の湧かない内容ですが・・・懐かしんでいただけましたでしょうか?

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2009年5月 3日 (日)

常磐線「勝田駅」 券売機発行の入場券と有難い無効印

こんばんわ。

先般、勝田駅前のホテルに宿泊した際、夜の勝田駅で撮影を行いました。もちろん外から入った関係で入場券を購入したのですが・・・。

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東日本管内で普通に見られる 券売機発行の入場券です。

勝田駅にはみどりの窓口もあるのですが、既に23時も回っているので、窓口はしまっていました。で、仕方なく券売機で買ったわけですが。

列車本数が少ないので、15分くらい入場して直ぐに出てきてしまったんですが、ここは根っからのテツですので、この入場券をもらえないかと、氏に頼んでみました。

ちょっと怖そうな兄ちゃんだったのですが、スゴク丁寧に無効印を押してくれました。で、あまり気にしなかったのですが、この無効印を良く見てみると・・・

Photo

「乗車記念」って書いてあるんですよ。通常は無効扱いとしなければならない、有効期限の残った乗車券を「無効」ではなく「記念」としてくれる心遣いが嬉しかったのです。

昔々国鉄時代、駅に「無効印」が常備されているのに絶対にくれない駅員もいたのに、今や「記念」としてもらえることが容認されているというのは、収集する側にとって非常に有難い姿勢です。JRになって、サービスが随分良くなったと思います。いちファンとして感謝いたします。

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2009年5月 2日 (土)

寝台特急「富士」:特急券・B寝台券、立席特急券 D型常備券

こんにちわ。

最近、仕事の関係で気持ちが一杯一杯で、更新がおぼつかなくてすみません。久し振りのまとまった連休ですので、今日は少しボリュームのあるネタをアップいたします。

平成21年3月のダイヤ改正で廃止となってしまった寝台特急「富士」。日本初の愛称付き特急列車として君臨してきた英雄が、まさか廃止になるとは思いませんでした。戦争による運転休止、電車特急としての復活、寝台特急化(ブルトレ化)などの変遷はありましたが、いつの時代にも日本の特急の象徴のような列車でした。

私が国鉄に入社したきっかけも、この寝台特急「富士」にかんする記事を見てからになります。小学2年生のときでした。夢かなって国鉄に入社したものの、赤字による分割民営化の波に押し切られ、わずか5年で退職することになってしまい、「寝台特急の車掌になる」という夢はあっけなく終ってしまいました。

前置きが長くなりましたが、そんな思い入れのある寝台特急「富士」に関する切符がありますので、今日はD券常備のものだけですがご紹介したいと思います。

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1枚目は、やや旧いものですが、20系時代の特急券・寝台券です。中津からの乗車ですので全区間の表示にはなりませんが、当時は日本最長の特急列車として名を馳せた時代のものです。

2枚目は、昭和52年末の西鹿児島~日向市間の立席特急券です。20系だった「富士」は、昭和50年3月改正で24系(当時はまだ3段式寝台)化されましたが、わずか1年半後には2段式寝台の新製24系25形化されてしまったため、この特急券の頃には既に25形化されていると思います。当時の立席需要がどの程度あったか不明ですが、この時点において宮崎~西鹿児島間は電化されておらず、特急といえば82系気動車による「にちりん」1往復とこの「富士」しかありませんので、同区間の速達列車としては重要な地位にあったかもしれません。

3枚目は、国鉄末期に近づいた頃の特急券・B寝台券です。当時宮崎発の寝台特急は「富士」の他にも「彗星」がありましたので、発駅だけは印刷式となっておりますが、その他の点は共通化するための記入式となっているようです。

4枚目は、国鉄最末期となったころの特急券・B寝台券です。3枚目の特急券とはビミョーな印刷位置以外は完全に同一のスタイルとなっていますが、こちらは何故か列車名だけ印刷常備になっています。豊肥本線の豊後竹田駅発行ですので、基本的には大分からの乗車と考えても良さそうなものですが、別府直通の列車もあるためか、乗換駅に選択の余地を残したのかもしれません。せっかくの列車名常備券ですが、題目である「特急券・B寝台券」より2回りも小さいポイントが使われており、さらに文字間が狭いために非常にバランスが悪いです。私は所有していませんが、当時の九州特急の列車名常備券で良く見られるタイプのようです。

東京発の九州特急は全て取り敢えず「乗ったことがある」と思っていたのですが、過去の記録と記憶を辿っていくと、どうもこの「富士」だけは乗っていなかったようでした。もっとも、他の九州特急でさえ利用したのは本州内のみでしたので、九州内では一切乗ったことがないということになってしまうのですが。

まあ、乗ったことだけにステータスを感じて生きていくわけではないので拘らないのですが、何もしないうちに廃止されてしまったのは正直なところ残念でなりません。

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