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2009年4月 4日 (土)

時刻表ネタ 昭和55年 急行「ばんだい」だらけの磐越西線

こんばんわ。

今日は久々に時刻表ネタです。

19807

しつこくも昭和55年7月号の交通公社時刻表からです。

私的に磐越西線の優等列車として思い浮かぶのは特急「あいづ」と急行「ばんだい」なんです。「あがの」や「いなわしろ」、「いいで」といった面々もいますが、列車本数の多さからも、「ばんだい」が一番メジャーな存在だったと思います。

上野~会津若松間は、距離にして300km弱、急行列車でも4時間半程度の所要時間ですか、こんな短い区間に定期の夜行列車が設定されていました。この時刻表でいうところの「ばんだい11号」ですが、同区間をわずか10分前後で「ばんだい9号」という列車も設定されており、現在ではとても信じられないような密度でした。

そして、夏休み・お盆休みともなれば、さらに輪を掛けるように臨時列車が設定されます。しかも、各列車の設定も大変バラエティー豊かとなっています。

「ばんだい55号」は、ディーゼル急行としての設定です。定期の11号よりも1時間早く上野駅を発車しますが、会津若松駅の到着はわずか20分差となります。郡山~磐梯熱海間が定期約15分のところを約40分、猪苗代~会津若松間が定期約30分のところを実に1時間15分も掛けています。もちろん、これは行き違いの都合での設定ではなく、お客さんを寝かせるための手段であることに違いありません。おそらく、磐梯熱海駅と磐梯町駅あたりで長時間停車を取っているのでしょう。

「ばんだい57号」は、客車列車の設定です。多分、この頃は既に12系化されていたのではないですかね。こちらも定期11号より約45分早く上野駅を発車しますが、なんとこちらは郡山~会津若松間を普通列車扱いとし、定期の11号より40分も遅く会津若松駅に到着となります。磐梯熱海駅で季節列車9号に道を譲り、さらに猪苗代駅で定期の11号にまで道を譲ってしまいます。そして、この57号も磐梯町駅辺りで30分ほどの停車をしていたようです。

到着時間帯を合わせるにしても、何ゆえこのような大胆なダイヤになっているのか理解に苦しむところですが、閑散線区の閑散時間を巧みに利用したダイヤ設定と言えるでしょう。同じ急行「ばんだい」を名乗りながらも、電車・客車・気動車と全ての列車種別を網羅しているところも面白いですね。

今の時代でこのような設定があれば、撮影のスポットと化していることは間違いないでしょう。しかし、当時はそんなに珍しいことでもなく、走っている時間帯も最悪ですから、おそらくこれらの列車を追っ駆けてバルブ撮影に講じていた、なんてファンは居なかったことでしょう。

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コメント

管理人様これまた30年位前のダイヤですネ。小生もこの年は高校3年生でした。(爆)←いきなりオヤジ攻撃を食らいますが…
東北新幹線開通後も上野からは特急【あいづ】が暫くの間は運転されていましたネ。
会津地方には車でしか行った事がありませんが確か笈川と言う小さな駅自体がコンビニになっていて飲み物を購入した記憶があります。
各駅停車と言えば朝と夕方の通勤通学輸送列車だけが主体で磐越西線専用のED77がレッドトレインこと50系客車を牽いていた頃でしたネ。
現在も快速列車が主体でE721系などが頑張っている筈ですがこの後も急行型電車が国鉄色→東北地域色→磐越西線色と変えながら暫く活躍していたのが記憶に新しい所です。
この路線独特のクロハ455や勝田電車区から転出したあかべぇ編成も今や勝田車両センターに出戻ってイルカ編成4連になったのも時代の流れですネ。
結構通過列車が多いのも快速扱いで料金を取られないのが違うだけで現在のダイヤと変わらないかな?と思います。

投稿: 電気釜56号 | 2009年4月 4日 (土) 08時48分

電気釜56号様
おぉ、私より一つお兄さんですね。
特急「あいづ」は白河に停車するので、田舎に行くときに1度乗ってみたいと思ったことはありましたが、結局は実現しませんでした。新幹線が出来て優等列車が優等じゃなくなったように衰退した感じで残念でしたね。
私の写真の記録からすると、昭和57年時点では未だ旧客でした。或いは会津若松で運用が分断されていた可能性もありますが、57・11くらいまで旧客が残っていたかもしれません。
磐越西線は勾配の関係から路線距離が無駄に長いので、やはりクルマの方が移動が早いですね。そんな路線ですから、特急でも快速でも退避の優先の問題だけで、スピードはあまり変わりようがなかった感じです。

投稿: キハ181つばさ | 2009年4月 4日 (土) 17時53分

この時刻表確かに持っていたのですがあまりにボロボロでダニでも涌きそうな程だったのでだいぶ前物置整理した時に捨てちゃいました。
しかし、ばんだいだらけですね。
それなりの需要は有ったと言う事なのでしょうか。
季節列車の7211Mと定期の4217M上野発車が7分後、会津若松到着が12分後と接してますね。
気動車ばんだいは定期夜行でかつて存在していたようです。
ばんだい55号の猪苗代-会津若松間28.9kmを75分、
57号の郡山-磐梯熱海間15.4kmを48分とか、所要時間だけで見ると路線バス並みですね。

仮に今の時代こんなのが存在していたら磐越道走って撮影したいですね。
ばんだい57号なら条件次第で時間的には撮れそうですね。

投稿: 金太郎 | 2009年4月 5日 (日) 00時08分

金太郎様
私も1度だけ昭和57年3月に定期の11号に乗ったことがあります。その時は多分臨時の設定はされていなかったと記憶していますが、上野駅の14番線に季節9号、13番線に11号が並びました。両方とも大した行列は無く、夜行時代も収束したような感じの雰囲気でしたね。
私らは11号の定期に乗りましたが、なんと、9号が宇都宮駅停車中に11号が追いついちゃうんですよ。その時間はまだ起きていたんで驚きましたね。
まあ、春休みはそんなものかもしれませんが、少なくとも年末年始やお盆輸送時の上野駅は夜遅くまで行列が切れることはありませんでしたので、生活が豊かになったとは言え、まだまだ安価な急行列車は人気があったのでしょうね。
当時は全然気にもしませんでしたが、各駅でバルブ撮影が可能だったと思います。その後も同じような状況が続いていれば、おそらく行っていたと思いますよ。当時はまだ高校生でクルマの免許がありませんでしたからね。

投稿: キハ181つばさ | 2009年4月 5日 (日) 11時14分

私のいた市の中学の修学旅行は、会津、磐梯、仙台、松島だったので、急行『いいで』を利用しました。郡山からバスで猪苗代湖、会津若松、磐梯高原へ向かったので、郡山で降りるのであれば、わざわざ『いいで』を利用する理由があったのか不思議でなりません。、団体増結用の車両のやりくりの関係でしょうか?
電車でやりくりがつけば、この時刻表のように、気動車や客車で増発しなくても済んだようですからね。
この時刻表を見て、当時は電車が足りなく、各地で電化され、余剰となった気動車があったため、『いいで』に増結するために、修学旅行は、わざわざ気動車にしたのかなと思ってしまいます。
帰りは、仙台からボンネット485系(?)『ひばり』に乗り、人生初の特急を体験しました。


投稿: 小鉄 | 2012年5月 2日 (水) 08時42分

小鉄様
いつの時代か分からないのですが、私が中学生になったころまでは、東北道が矢板までしか開通していませんでしたので、少なくとも東北方面へはバスより急行列車の方がはるかに早かったと思います。上野発の急行で見ると、「いいで」「ざおう」は9時代で利用しやすい時間。「ざおう」が運転しない季節は郡山回転で切り離してしまいますから、その部分を郡山までの団体として使用したのではないか?とも考えられますね。想像ですけど。

投稿: キハ181つばさ | 2012年5月 2日 (水) 14時07分

こんばんは。
時刻表、大変興味深く拝見しました。往時の上野駅は大変活気があったのでしょうね。また、地方幹線とは言え、まさに幹線として優等列車が頻発していた様子は、見ていて飽きなかったのではないかと思います。
今の時代においては、できれば回数券などでは割引をして、もっと快速列車の本数を増やせるだけの利用を確保して欲しいものだと思います。
今後とも、宜しくお願い致します。

投稿: 風旅記 | 2012年8月24日 (金) 23時25分

風旅記様
私も昭和57年3月に夜行「ばんだい」に乗っていますが、10分ほどの間隔で季節列車と定期列車が続行するんですよね。おまけに、宇都宮で一度選考列車に追いついちゃったときには驚いたものです。
どちらの列車も1両に8~10名ほどの乗客で、過剰な供給であったようですが、昭和53年くらいまではもっと需要があったかもしれません。東北・磐越道整備の関係が強いかも。
今は完全にローカル化し、免許を持っていない人が電車に乗るという感じでしょうか?快速は乗っても、普通列車はやはり空いているようですね。

投稿: キハ181つばさ | 2012年8月26日 (日) 10時22分

こんにちわ。昭和33年度生まれの親父です。
母親の実家が郡山近辺で、ばんだいには何度もお世話になりました。
思い出深いのは・・・。

1.昭和49年3月に乗ったざおう51号・ばんだい51号。
旧客普通車のみの10連くらいでしょうか?上野を午前8時過ぎに発車。座ったのが車端部分で、ドアの開け閉めがうるさい。外はまだ冬で、宇都宮を過ぎれば雪も残っていたと記憶しますが、車内は暖房が良く効いていた。
さほどスピード感もなく、お客も多くなく、黒磯ではお約束のEF57(だったかな・・・)→ED75の機関車交換。
その間にも特急に追い抜かれたかも・・・。
そして、何と須賀川では、後続の電車急行に抜かれる始末・・・。
あれが特急に抜かれる同じ急行か、と思えるスピードで駆け抜けていく。
時刻表を見て知ってはいたけど、アングリ、と口を開けて見送りました。
後の昭和51年夏に同じ時間帯で郡山に行くことになり、今度は電車急行で・・・。
当然、須賀川で仇討です。
ところが・・・。
何と、今度は追い抜いたものの、新車の12系客車!
シマッタ、また一杯食わされた、と思ったものです。

2.昭和50年夏のばんだい11号
当時、郡山の従兄弟と裏磐梯の渓流に釣りに行くのですが、早朝の4時、郡山駅から乗車し、猪苗代まで行くのです。
郡山駅では、昨晩、上野から乗車したお客さんの中に割り込むように乗車。確か車内灯は点灯し、車内放送もあって、上野からのお客さんはタダでさえお疲れモードなのに、高校生のガキが二人平和を乱す・・・。
何となく歓迎されていないあなぁと感じました。
座席について何事もなく黙って座れば、周りと同化。早朝の磐越西線をひた走れば、まだ手つかずの朝の空気の向こうに聳える磐梯山が見える・・・。
今でもそんな情景が脳裏に残っています。

投稿: 昭和33年度製 | 2014年4月30日 (水) 13時21分

昭和33年度製様
コメントありがとうございます。
急行が急行を抜くという現象は、本線北部で「くりこま」対気動車急行では日常的に行われていたことを知っていましたが、そのような近いところであったというのは今初めて知りました。母親の実家が須賀川で利用していたので非常に興味深い話です。
昭和50年くらいまでは臨時急行列車も客車であれば雑客の寄せ集めを使っており、12系を使用した上越線のスキー列車を見るたび高級な感じがしていました。私も須賀川からの帰りに急行「みはる」を利用した際、ドアが開かないほど混雑しているところ、強引にドアを開けて乗せてもらった記憶があります。
夜行列車は始発基準で座席が占領されてしまうので、途中から乗るとどうしても先客を邪魔するような状態になってしまいますね。でも、それは仕方のないこと。後から乗ってくる人のことを考えるべきと思いますが、先に乗って来て既に疲れている立場を自分もかなり経験していますので、やはり乗って来て欲しくないというのは良く分かります。
夜が明けたときのけだるさの雰囲気と言うのは、夜行列車の醍醐味でしたね。特に自由席急行ならなおさら。でも、もうこの歳では多分無理です。笑

投稿: キハ181つばさ | 2014年5月 4日 (日) 03時09分

キハ181つばさ様、レスを頂きありがとうございます。
小生、生まれも育ちも大宮でして、それも線路から程遠くない地であります。
それゆえ、子供時分から、大宮駅北方の陸橋(大栄橋)からしたを走る各種列車を眺め、テツ学に勤しんだ次第であります。
東北線の急行も旧客時代のまつしまにも乗せられた記憶もあり、モハ455系、キハ58系なども乗りました。
さて、急行ばんだいからは若干ズレますが、12系客車について。
ご存じのとおり、12系は昭和45年の大阪万博の多客輸送を機に製造されたとされ、その後昭和50年に臨時定期を問わず急行用旧型客車置き換えに二次車が製造されました。
当方が現物を最初に目撃したのは昭和45年か46年の特急つばさ51号でした。
それ以前に、大阪方のしおじ51号で12系が特急に使われておりましたので、12系が特急に使われることは理解できていたのですが、何とも不思議な気がしました。
でも旧型客車に比べ、明るくパリッとした新製車体。屋根は旧客と全く異なる浅いもので、その上には初々しい冷房装置と電車バリのベンチレータ。旧型客車の文法をすっかり覆した姿は驚きものでした。
インパクトが大きかっただけに、特急料金100円引きとは言え12系客車が特急(確か全車指定)に使われたことは、変に納得させられてしまいました。
更に、実際のつばさ51号を見れば、当時ブルトレ以外で客車の前に立つことはなかったEF65が牽引機でした。これも妙に鉄の血をたぎらせてくれました。
その後、14系座席車の登場で、12系は特急稼業から降りますが、それでも小生の頭の中では優等列車専用車両でありました。
しかし、確か昭和55年ころだったと思いますが、当時旧客だった上野発高崎線一番列車が12系に置き換えられたときは、旧客の引退カウントダウンのみならず、12系の凋落と言った雰囲気も感じられ、寂しさを覚えたものです。
とは言え、当時の状況では、20系の格下げもあったし、14系客車も急行運用に駆り出され、あろうことか自由席まで演じる状況でしたからやむを得なかったのでしょう。
花の命は短くて・・・とは鉄道車両にも言いえて妙、と言ったところでしょうか・・・。
雑文失礼。

投稿: 昭和33年度製 | 2014年5月 4日 (日) 09時47分

昭和33年度製様
レス遅くなってすみません。
12系誕生の経緯はもちろん知っています。
ただ、東日本では殆ど使われておらず、むしろ先行で特急用として「つばさ」「あけぼの」「ゆうづる」に使われていたようですね。小学3年生頃、親に初めて買ってもらった時刻表に「100引き」の表示があったように記憶しています。
初めて地元で12系を見たのは、おそらく「石打スキー」だったように記憶しています。珍しいので写真に撮っていますが、気が付けば「つばさ51号」で14系が使われており、やはり臨時の「あけぼの」「ゆうづる」も14系運転があったようです。時間帯が小学生向きではないので実物を見たことはありませんでしたが、12系と違ってテールサインが入っている14系はすごくカッコ良く感じたものです。でも、最初に撮ったのは何故か「やまばと銀嶺」であり、真っ白なテールマークにガッカリしたものです。
昭和40年代は特急車両・急行車両は厳密に区別されており、特急車両を急行に流用していたのは格落ちしていたスハ44系くらいなものでしたね。14系を急行に使った例は確か臨時「銀河」だったと記憶しています。東海道新幹線の定例補修で運休の際、夜行で運転されました。その後、定期の「阿蘇」「くにさき」「雲仙」「西海」といった九州夜行で格落ち感が出始め、老朽化した雑客の代わって14系も12系も都落ち、改造など、その格を落として行きました。真価を発揮したのは10年もなかったことになりますね。
高崎線の普通列車はEF58牽引時代に撮影したことがあいましたが、最後は12系化されたというのは全然知らなかったように思います。つい最近、友人とその件で話す機会があり、初めて知った次第です。

投稿: キハ181つばさ | 2014年5月10日 (土) 09時06分

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