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2009年2月26日 (木)

時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」

こんばんわ。こんな最悪の時間に更新です。仕事、大丈夫かな。

今日の時刻表ネタは、水郡線を走った急行「ときわ」です。

水郡線の急行といえば、誰もが「奥久慈」と答えるでしょう。しかし、調べモノをしていて時刻表を見ていたら、ちょっと信じられない表記を見つけました。

19807_2

こちらは毎度ながら、昭和55年7月号の交通公社時刻表です。右端の列車にご注目下さい。

急行「奥久慈1号」の下に、期間限定で「ときわ7号」が併結される旨の案内が表記されています。

急行「奥久慈」といえば、常磐線内では「ときわ」と併結されていますので、DC急行の「ときわ」自体は定期列車として当たり前に存在しましたが、水郡線にまで乗り入れていたというのは記憶が無かったのでこれを見たとき驚きました。しかも、通常の「奥久慈」には見ることのできなかったグリーン車と普通車指定席まで連結されて行ったわけです。

なぜこんな編成で運転されたかと言いますと・・・

19807_3 

ページの境目なのでスキャニングが汚くてゴメンなさい。

「奥久慈」は郡山寄り4両編成となりますが、この編成に隣接する車両にグリーン車と普通車指定席があったんです。キハ58系気動車の場合は片運ですし、グリーン車キロには運転台がありませんから、必然的に最低で6号車~8号車が「奥久慈」に併結されていったということになります。もしかしたら7号車も乗り入れていたかもしれません。

水郡線内の有効長の関係で、全編成が乗り入れたとはとても考えづらいですが、7両又は8両程度でグリーン車を含む長大編成が水郡線を走るというのは想像を絶します。

もし、この期間に指定席やグリーン車に乗っていて、水郡線内到着の「ときわ7号」の指定券があったら非常にレアモノになったろうな・・・なんて思いを馳せます。

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時刻表ネタ」カテゴリの記事

コメント

思い出しました。
この時期の他にもあったと思うんですが勘違いですかね?
それとも私が最も鉄離れしてた時代でも珍事と言うことで覚えていたか。

時刻表を見る限り、このときわ7号の水戸止まりの編成と本来の奥久慈の8~12号車をそっくり入れ替えて運用したんでしょうか?
しかし、あの水郡線に7~8両の28,58が入ったというのは面白いですね。
8月の繁忙期はそれなりに当時は需要があったんでしょうね。

投稿: 金太郎 | 2009年2月27日 (金) 21時30分

金太郎様
他の年代の時刻表まで見る余裕が無いので、毎年あったのかどうかまでは調べていません。もしかしたら恒例だったかもしれませんね。
編成順序を入れ替えると、駅の案内板が当時は板でしたから、入替等の問題もありますので、おそらくグリーン車前後の車両を足して行ったのではないかと想像しています。常磐線はそうでもないと思いますが、東北本線系のDC急行は、末端でのローカル運用も加わって、かなり複雑な運用だったらしいです。付替えてしまうと大変なことになったでしょうね(笑)。

投稿: キハ181つばさ | 2009年2月27日 (金) 23時40分

うわぁ・・・地元ネタだぁ!

これは実際に見に行っておりまして、常陸大子まで乗り入れる「ときわ号」は、6~8号車のキハ+キロ+キハの3両でした。常陸大子到着後は上りの普通列車に併結して水戸へ戻されたものと思います。

本来の運用では「ときわ7号」として水戸で「奥久慈1号」と切り離された1~8号車は上野方の水戸機関区の引上線で待機し、平発上野行の424列車が発車した後に6番線(当時)に入線して「ときわ6号」となり、郡山からの「奥久慈4号」(奥久慈1号とは玉川村で行き違い)を平よりに連結してから上野へ向けて発車しておりましたので、この延長運転時には6~8号車のキハ+キロ+キハの3両は1編成余分に必要だった事になります。

投稿: 菅沼天虎 | 2009年2月28日 (土) 22時03分

つづき

さて、「ときわ号」の水郡線常陸大子への延長運転は上りの「ときわ6号」でも行なわれる時があり、編成は6~8号車のキハ+キロ+キハの3両の同一であり、こちらの車両は水戸10:49発の331Dに併結され、常陸大子で切り離されて郡山からの「奥久慈4号」に併結されました。

この上り列車の延長運転に関しては、常陸大子→上野の急行券・グリーン券を持っておりますので、いずれ拙ブログでエントリしたいと思います。

余談ですが、水戸10:49発の331Dは他の普通列車が一般型のキハ25等との混結編成が多い中で、必ず急行型の2両編成での運用されており、郡山到着後は磐越東線の1732D夏井行に運用されてました。夏井到着後にどのように運用されたのかは不明ですが、恐らく331Dは急行型の運用の一環に組み込まれていたものと思われます。

投稿: 菅沼天虎 | 2009年2月28日 (土) 22時16分

菅沼天虎様
情報いただきありがとうございます。
この辺りの情報は、時刻表上からですと推測にも限界がありますので、実際に見た経験のある方の情報が頼りになります。

この運用に関しては、お盆の超繁忙期になりますから、予備車も総動員だったことでしょう。足りなくなるキハ+キロ+キハは予備車が動員されたわけですね。
この回送ですが、上りにグリーン車を営業する列車の情報も無く、清掃作業を行う委託も臨時で組むことができないと思われますので、おそらくは締め切り扱いのまま水戸まで回送されたのではないでしょうか。

私も数回水郡線の撮影に行ったことがありますが、殆どの列車は首都圏色のキハ20系・45系・40系だったですね。行ったの年代が遅かったので、キハ55系を見ることはできなかったようですが、この昭和55年くらいだと稀に「奥久慈」にも使用されていました。臨時急行「奥久慈51号」に組み込まれていたのも目撃しましたので、おそらく予備車的に運用されていたのではないでしょうか。
キハ58系のみによる編成が存在したのは、まさしくこの「奥久慈」絡みの車両運用であると考えられます。これは、時刻表からもある程度追って行くことができます。大体において、融通の利く気動車運用は複雑怪奇なものが多いようです。

投稿: キハ181つばさ | 2009年3月 1日 (日) 08時21分

>常陸大子→上野の急行券・グリーン券
遅ればせながら、本日エントリいたしましたので、ご笑覧下さい。
急行券・グリーン券の他に、急行券・指定席券も持っておりました。

水郡線のキハ55系は、キハ55が残っていた頃は急行運用に入っている姿を見かけましたが、昭和53年の紀勢線の電化でキハ58の冷房車が和歌山から転入し、玉突きでキハ5519が昭和53年に美濃太田に、キハ5527が昭和54年に盛岡へ転出してしまうと、急行冷房化の絡みもあって残されたキハ26が急行運用に入る事は少なかったと思います。キハ26はキハ47が投入される昭和57年頃まで残っておりましたが、末期は運転台の後のドアにタブレット通過授受の際の保護網が外されておりましたので、急行運用には入らずに普通列車専用であったものと思われます。

投稿: 菅沼天虎 | 2009年3月 3日 (火) 23時42分

菅沼天虎様
早速拝見いたしました。ゴム印が特殊で面白いですね。他の線区ではこのような例は非常に稀なんじゃないでしょうか。それを2種類も所有しているのはさすがですね。
キハ26か55かは憶えていませんが、上野駅で多客期の乗せこみのアルバイトをしていた時、中間に2~3両連続で連結しているところにちょうど当たったんです。多分昭和55年か56年じゃなかったかと思います。「こういう車両が先頭に出れば良いんだけどな」とも思いましたが、バイトに精を出し過ぎて、殆ど写真を撮りに行かなかったですね。

投稿: キハ181つばさ | 2009年3月 4日 (水) 22時19分

気動車の、ときわは乗った事がなかったでした。
やはり大津港まで行くので、電車の方でしたね。
それと時刻表の地図が懐かしいです。
交通新聞社版には、ないですからね。
時刻表も最近は買わなくなっちゃいました。それは何故?高いんですよね~。

投稿: シービー | 2009年3月29日 (日) 10時20分

シービー様
「ときわ」の気動車版は長距離を走っていないので、シービーさんでは利用しづらかったでしょうね。私は常磐線自体に縁がなくて、電車急行すら乗っていません。「十和田」で通過したのと、最終日の「みちのく」に乗ったくらいですね。
今の職場は毎月時刻表を購入しており、2ヶ月保留してから廃棄するので、2ヶ月遅れの時刻表を毎月貰っています。
値段が高いのもそうですが、時刻表を見ていて面白くなるような列車がなくなってしまったのが原因ではないかと・・・。

投稿: キハ181つばさ | 2009年3月29日 (日) 13時04分

はじめまして!
「上野⇔常陸大子/水戸⇔常陸大子」というサボを先日購入し、てっきり急行「奥久慈」のサボだと思っていたのですが、裏面が「上野⇔水戸」でないことが引っかかり、ネットでいろいろ探しているうちにキハ181つばさ様のブログに辿り着きました。
サボは菅沼天虎様のブログでも紹介されているものと同一なので、「ときわ」として水郡線に乗り入れた、季節増結のものなのですね。
お陰様でサボについての疑問は解けたのですが、新たな疑問が出てきてしまいました。
それは、時刻表1971年(昭和46年)7月号を持っているのですが、それを見ると当時から常陸大子からの季節増結は行われており、下り1号が8月11~14日まで、上り2号が8月15日~20日まで指定席・グリーン席を「奥久慈」として増結しているのです。
キハ181つばさ様の時刻表は1980年(昭和55年)7月号ですから、いつから「奥久慈」ではなく「ときわ」の延長という形をとったのかという疑問です。
手元に1972年(昭和47年)~1979年(昭和54年)の時刻表があれば、自分で調べられるのですが、生憎持っておらず、もし当該時刻表をお持ちでいつから「奥久慈」ではなく「ときわ」の延長という形をとったのかご存知でしたら、ご教示頂きたいと思った次第です。
どうかよろしくお願い致します。

投稿: けんけん | 2009年10月13日 (火) 18時54分

けんけん様
ようこそいらっしゃいました。
ほほう、良い物を手に入れましたね。今やサボも高額になってしまい、手が出しづらくなってきました。
私の所有している時刻表が小学6年生以降(昭和50年4月~)で、それ以前は昭和49年4月の大型と、6月の小型しかないんです。夏季のみの運転だったのか、両方とも記載がありませんでした。
昭和50年7月の時刻表を見ますと『「ときわ」を常陸大子まで連結します。』と記載されており、既に「ときわ」になっていたことは明確な事実ですね。
残念ながら、そこまでしか調べることが出来ませんでした。
ちなみに、この間の大きな改正は昭和47年と新幹線博多開業の50年3月がありますので、どちらかの改正がポイントになっているのではないかという想像は付きます。一般的には50・3が白紙ダイヤ改正で大きなものでしたが、常磐線に限って言えば、羽越本線の全線電化に絡んで「いなほ」とその間合い運用の「ひたち」が電車化されていますので、その際に列車名が整理された可能性も否定できません。
お役に立てなくてすみませんね。

投稿: キハ181つばさ | 2009年10月13日 (火) 23時00分

キハ181つばさ様
早速のご教示、ありがとうございました。
昭和50年には既に「ときわ」の延長運転という形になっていたのですね。
となると、仰るとおり昭和47年改正か、「ひたち」の電車化の時がポイントになってきそうですね。
それだけでも十分参考になります。
私も引き続き調べてみて、分かったらお知らせしたいと思います。
本当にありがとうございました。

投稿: けんけん | 2009年10月13日 (火) 23時17分

けんけん様
わざわざご連絡ありがとうございます。
鉄ピクとかで水郡線の特集でもあれば直ぐに分かりそうなんですけどね。さすがに小学生の頃なので、その時代だと資料は全くと言って良いほど無いんですよね。
結果報告、楽しみにしております!頑張ってください。

投稿: キハ181つばさ | 2009年10月13日 (火) 23時43分

キハ181つばさ様
こんばんは、他力本願(笑)ですが、切り替わり時期が判明しました!
やはりキハ181つばさ様がご指摘された昭和47年が答えでして、「8月11~14日「ときわ」5号が常陸大子まで延長運転」とのことでした。ただしこの時は指定席だけの延長運転で、グリーン車は連結されておりませんでした。
(「奥久慈」としての増結運転は上り1号が昭和46年12月28日~昭和47年1月1日まで、上り2号が昭和47年1月2日~7日が最後のようです。)
指定席・グリーン席の延長運転は翌年の昭和48年からで、昭和47年と同じく「8月11~14日「ときわ」5号が常陸大子まで延長運転」の記載がありました。
話は変わり、愛称板は赤帯のあるタイプの新型と、帯のない旧型がありますが、常陸大子発の「奥久慈」はどちらのタイプを使っていたんでしょうね?

投稿: けんけん | 2009年10月15日 (木) 20時09分

けんけん様
お、調べが付きましたか。良かったですね。
大体こういう愛称や運転体系の動きというのは大きなダイヤ改正のときにあると見て良いと思います。私的には縁の無い場所なので、今までは注目したことなどありませんでしたけどね。
サボの件ですが、私が写真を撮り始めた昭和47年ころには帯び無しの愛称板は見たことがないですね。具体的なところはなんとも分かりませんね。
こういうものは備品というより消耗品の部類になりますので、一斉には切り替わっていない可能性が強いと思いますので、新旧混在していた時代もあるかと思います。
特に私の路線である東北・高崎・上信越方面の急行列車は、早い時期から行き先サボに愛称名を組み込んだようですので、列車名サボ自体を見た記憶がないんです。逢ったとすれば181系の「とき」「あさま」「そよかぜ」や、キハ80系時代の「つばさ」「いなほ」「ひたち」くらいで、急行列車の単独愛称板は、客車急行のみだったように思います。

投稿: キハ181つばさ | 2009年10月15日 (木) 23時39分

キハ181つばさ様
サボ・愛称板のお話、どうもありがとうございます。
前述しましたが、「上野⇔常陸大子」のサボを持っており、「奥久慈」帯あり愛称板と一緒に飾っているので、違和感ないかな~と思ってお尋ねしました。
ちなみに、私も主なテリトリーはキハ181つばさ様と同じ東北・上越・信越方面ですよ^^
ですので、よく調べ物をするために様々な方のブログを拝見しますが、キハ181つばさ様のお名前は拝見しておりました。
もっとも、東北・上越新幹線が開業した頃はまだ小学生でしたが・・・
今後ともよろしくお願い致します。

投稿: けんけん | 2009年10月16日 (金) 00時07分

けんけん様
おや?ひょっとして我が家の近所だったりしてね。
私のブログは調べ物をしている人に使ってもらいたくて始めたようなものですから、私の意図に添った利用をしていただいて光栄です。
本館ブログでご覧になったかもしれませんが、http://red.ap.teacup.com/marutetsu/669.html の記事の一番上の写真をクリックしていただくと、写真は「ときわ」の方ですが、上部行き先札に、下には帯付愛称板が入っているのが確認できますので、少なくてもこの時代にはピッタリの組み合わせということになりますね。
同じ気動車急行でも、「いいで」「ざおう」「おが」「出羽」といった東北方面の列車は、行先・愛称組み込みだったと記憶しています。
また気に入った記事を見つけたらコメントしてくださいね。

投稿: キハ181つばさ | 2009年10月16日 (金) 00時27分

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