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2008年3月16日 - 2008年3月22日

2008年3月22日 (土)

都営地下鉄→(江戸橋)→営団地下鉄連絡乗車券

今日はお出掛けの気力が無くなり、マッタリと資料整理。そんなんで時間も出来ましたので、切符までアップしちゃいます。

今日のネタは、都営地下鉄と営団地下鉄(現東京メトロ)の連絡乗車券です。
基本的に私鉄の乗車券のコレクションというのは少ないのですが、これは仕事でお付き合いのあった都営地下鉄OBの方が鉄である私にお裾分けしてくれたものです。

取り敢えず画像をどうぞ。

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都営地下鉄浅草線「押上駅」から江戸橋・日本橋を経由して営団地下鉄東西線の30円区間行きという連絡乗車券です。
昭和42年11月の発行で、2等という表示がされ、さらに運賃変更のゴム印が押してあります。
都営地下鉄の等級制がいつ頃廃止されたのか調べても分からなかったのですが、国鉄と同じ頃だとすれば、この乗車券が発売された頃には既に制度が変わっていたものと推測されます。
地紋はその後の都営地下鉄と同様の黄地紋で、経年の割には鮮やかな色が残っております。

乗り換え駅は「江戸橋」~「日本橋」となっており、別名称ですが乗換駅として指定されています。「江戸橋」の駅名は最近あまり聞かなくなったと思ったのですが、平成元年3月に営団地下鉄と同名の「日本橋」に改称されていたんですね。20年も気が付かないなんて・・・。都営新宿線が開業し、「江戸川橋」と紛らわしい、乗換駅として駅名を一致させた方が良いなどの理由から改称されたようです。

裏面に転じますと、表面と同じような内容事項が記載されていますが、営団地下鉄30円に対し小児15円の表示があります。私もうっすらでありますが、小学3年生の頃、高島平~新板橋間を都営三田線に乗車した際、自動券売機で5円玉のおつりが出てきたような記憶があります。
そこで気になるのが、営団地下鉄に対して小児運賃が表示されているのに対し、都営地下鉄乗車区間の小児運賃が表にも裏にも記載されていません。まさか同額ってことは無いと思うんですが、やや謎を含んだ乗車券です。

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2008年3月18日 (火)

「なは」:特急券・B寝台券(583系時代)

今日は早めに帰宅いたしましたので、切符をアップいたします。 昨日は、581・583系寝台特急「なは」の写真をアップいたしましたが、当方手持ちの特急券で「なは」が1枚だけありました。ちょうど時代的に電車特急時代でネタが合いますので、本日この機会にアップいたします。

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旧様式の準常備式D券タイプです。料金からして、最高到達距離の乗り継ぎと乗継ではないもの、そして、寝台の上・中段及び下段を用意してあるようです。 昭和50年11月ですから、同年3月に誕生して間もない頃の特急券ですね。この時代は勿論581系又は583系であり、特急券にも「電」の文字が印刷されており大変判りやすいものとなっております当時、西鹿児島発の電車特急には、「なは」以外にも「明星」が存在していました。発行駅は大隅線の「鹿屋駅」で、残念ながら大隅線共々既に廃止となっております。

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2008年3月16日 (日)

「十和田」:急行券・B寝台券・指定席券

とうとうダイヤ改正を迎えてしまい、この間バタバタ撮影に奔走していたために何とも気が抜けてしまった感じがします。
でも、まだ500系「のぞみ」や「夢空間」、小田急LSEの旧塗装、207系900番代といった課題も残っているので、何とか気力を振り絞って撮影に行かなければならないところなんですけども・・・。

さて、本日未明にアップしたしました急行「十和田」に関連いたしまして、硬券指定席券がありましたのでこの機会にアップしておきたいと思います。

Photo_22 まずはD券タイプです。
上のD券は、上野駅発行の下り「十和田3号」のグリーン券です。
50・3改正以前の急行「十和田」は5往復が設定されていましたが、同改正時において2往復が特急「ゆうづる」に格上げとなり、「十和田」は3往復に減少しています。
昭和50年4月の時刻表によると、季節列車の下り1号・上り3号は12系らしい12両編成のモノクラスで、上下2号がA・B寝台1両づつとグリーン車を連結、下り3号・上り1号は寝台車無しでグリーン車を連結した編成となっています。このうちの上下2号が昭和52年9月に20系化された列車であることは容易に推測できますね。
当時の東北方面の客車グリーン車は基本的にスロ62又はスロフ62ですので、この切符の「十和田3号」が旧型客車の編成であることがわかります。

下のD券は上り「十和田3号」の普通座席指定券です。
昭和48年ですから、まだ「十和田」が5往復設定されていた時代のものです。
定期列車は「2・3号」と「4・1号」で、これに時刻表に編成が掲載されている季節列車の「5・4号」があり、いずれもA・B寝台車とグリーン車、ハザと自由席車を連結した、昔ながらの夜行列車らしい編成で運転されていました。
このほかに、季節列車の「1・2号」と「3・5号」があり、「1・2号」が全車B寝台の寝台専用列車、「3・5号」は何と指定席車が1両もない全車自由席車として設定されています。
この指定席券は、上り3号の定期列車であることが判り、編成中たった1両しか連結されていない1号車の指定席に発行されたものです。

Photo_23 こちらはA券タイプのB寝台券です。
裏面はアップしていませんが、発行駅は「板橋駅」で、この時代に首都圏で発行される指定席券としてはA券は珍しいと思われます。
昭和52年3月ですと「2・2号」はまだ20系化される前ですので、B寝台車ですが10系だった時代のものになります。


昭和40年代だと、団塊世代の方たちが集団で就職のために上京してきた時代ですので、年末年始やお盆期間は東京から帰省する人たちで大変混雑いたしました。
当時は未発達で高額な航空機を利用することのできるサラリーマンは極限られていますので、長距離を座って移動するために、夜行列車の順番を朝から駅で並んで確保するのが当たり前の時代でした。

私が昭和50年代半ばの高校生の頃、上野駅でアルバイトしていたときもそれなりに夜行列車の帰省行列は残っておりましたが、今では夜行の寝台特急すらなくなっても大丈夫な時代になってしまったんですね。昔の人は生きるために頑張って仕事をしていたのでしょうが、今は人生の余裕を確保するために一所懸命働き、時間を節約しているということなんでしょうね。たった30年の時代差、随分様相が変わったと思います。

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